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ひめゆりの塔|30分では足りないと感じた場所(沖縄・糸満)

ひめゆりの塔|30分では足りないと感じた場所(沖縄・糸満)

2026/2/2
沖縄県糸満市
パガンダラン
パガンダラン

那覇空港から車で1時間弱。沖縄南部に向かって走り、案内標識の「ひめゆりの塔」に従って進むと、空気がすっと変わるのがわかった。派手な観光じゃない。けれど、沖縄に来たなら一度は向き合っておきたい場所だった。

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まず視界に入る、壕(ガマ)の影

ひめゆりの塔を背中にして、右側の駐車スペースへ。入口でお供え用の花(300円)を買って、手の中に小さな緊張を持ったまま歩き出す。

最初に目に入るのは、大きな壕(ガマ)の影だった。

「ここに、いたのかな」

その問いが、頭より先に身体を動かす。観光のスイッチが静かに切れて、言葉が少なくなった。

ひめゆりの塔は、学徒隊が避難した壕のひとつ「伊原第三外科壕」跡の上に建てられた慰霊碑。だから、壕が先に目に入るのは自然な順番だったのだと、あとで知った。

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ひめゆり学徒隊が担った仕事

資料館に入る前に、少しだけ背景を。

ひめゆり学徒隊は、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒たち(222名)と引率教師(18名)で構成された部隊。看護要員として沖縄陸軍病院に動員された、主に10代の女子生徒たちだった。

彼女たちが戦場の病院壕でしていたのは、いわゆる「看護師」だけの仕事ではない。"病院が壕の中にある"という状況そのものが、仕事の意味を変えていた。

食事や水の世話、包帯交換の手伝い、排泄物や汚物の処理。壕の中は狭く、悪臭があり、立ったり座ったりで眠るしかない日々。負傷兵が増え、薬も食料も足りない中で、彼女たちは"できること"を増やされ続けた。

そして、壕の外に出る瞬間が命がけだった。遺体の埋葬、食料を取りに行く「飯上げ」、水くみ。外へ出て銃弾に倒れた人がいたことが、展示と証言で「具体」に変わっていく。

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資料館で突きつけられる「現実」

慰霊碑のあと、隣接するひめゆり平和祈念資料館へ。この日は17:30までだったので、30分ちょっとの"スピード勝負"。でも、結論から言うと——もっと早くきて、ゆっくり見たかった。

館内は、戦前の学校生活から、動員、戦場へと進む構成になっている。途中で流れる「ひめゆりの証言映像」が、文字で読むのとは違う重さを持っていた。生き残った方々が、戦場跡を訪れながら体験を語る。事実を"知る"より先に、感情で"理解してしまう"タイプの展示。

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南部撤退のあと、1945年6月18日に突然の解散命令が出された。以降に犠牲が集中したことが紹介されている。最後は「各自で逃げる」しかなくなる。

当時、生徒たちは「絶対に捕虜になってはいけない」と信じ込まされていた。米兵に捕まったら酷い目に遭うと。だからこそ、諦めて自決を選ぶ人も出た。一方で、実際に米軍に収容されて命が助かった例も記録されている。

「捕まっても、まずいことはなかった」「数日前に自決した友人に教えてあげたかった」——証言に残る"ねじれ"が生む後悔が、読む側に刺さる。

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アクセス・基本情報

  • 住所 沖縄県糸満市字伊原671-1

  • 開館時間 9:00〜17:25(最終入館 17:00)

  • 休館日 年中無休(※荒天時など臨時休館あり)

  • 入館料 大人450円/高校生250円/小・中学生150円 駐車場 専用駐車場なし。

  • 近隣の土産物店の駐車場を利用 アクセス 那覇空港から車で約50分

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所要時間の目安

公式の案内でも、見学は30分〜1時間程度が多い一方、2〜3時間かける人も少なくないとされている。閉館前の短時間だと、展示の「入口」だけ触って帰る感じになる。

証言映像をしっかり見たいなら、最低でも1時間半は確保したい。

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行く前に知っておくと良いこと

ひめゆり学徒隊の仕事は、看護だけでなく、生活維持や壕外の危険作業まで含む。この背景を知っておくと、展示の理解がぐっと深まる。

「壕を見る→慰霊碑→資料館」の順番は、気持ちの切り替えが必要になる。予定は詰めすぎない方がいい。資料館を出たあと、いつもの観光みたいにすぐ次のスポットへ切り替えるのが難しかった。

ひめゆりに関連する映画もたくさんあるので、ぜひ見て行ってください!

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この場所は「知る」より先に「感じてしまう」

沖縄南部を旅するなら、海の青さだけじゃなくて、この土地が抱えてきた記憶にも触れておきたい。「楽しかった」では終わらない。でも、行ってよかったと、はっきり言える場所だった。

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ひめゆりの塔沖縄戦糸満

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